Yutaka Matsuo

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  • 講演8 :松尾 豊氏
 

 東京大学で人工知能の研究をしております、松尾豊です。25年間AIの研究を続けてきて、最近特に力を入れているディープラーニングについては、2017年に一般社団法人日本ディープラーニング協会を立ち上げました。私の研究室での取り組みと、スタートアップを生み出す要件についてお話ししたいと思います。
 現在の私の研究室は130~140名の大所帯で、学生や研究員、職員に加え、ビジネスのプロフェッショナルの方も参加して下さっています。活動は大きく4つ、基礎研究・講義・社会実装・インキュベーションです。
 まず最初の基礎研究ですが、ずっと人工知能の研究を継続しています。テーマはWeb、ビッグデータ、ディープラーニングと時代に即してシフトしていますが、根本にある目標は、知能を創る、知能の謎を解くということです。そのために、その時代で一番イノベーションの起こる、新たに伸展している分野に取り組んでいます。その流れの中で、現在注力しているのが世界モデルです。というのも、ディープラーニングにより画像認識や自然言語処理はある程度実現化しましたが、本当の知能の核心には至っていないからです。そのキーになるテクノロジーが世界モデルだと考えているのです。世界モデル技術とは簡単に言えば、脳の中にあるシミュレータを人工的に構築することです。我々は例えば、ガラスのコップを床に落とすと何が起こるか想像できます。それは、脳の中にシミュレータがあり経験によって学習しているからです。このように、経験・データによって学習し予測するシミュレータ(知能)を作る技術は今後重要になり、また機械やロボットの制御、あるいは言葉の理解の根幹にもなるはずだと考えています。2021年7月には寄付企業の協力を得て、世界モデル・シミュレータ寄付講座を東京大学に設置しました。
 次に講義です。2014年からデータサイエンス、2015年からディープラーニングと様々な講義を提供し、今では年間1,000~2,000人、累計6,000人以上の学生が受講しています。他にもエンジニア向けの講義を開催する他、最新の論文を読むオープンな輪読会の開催は250回を超えています。ディープラーニングの実装に焦点を当てた勉強会「DLHacks」は、累計50回以上開催。ロボットサークルを作りたいとの学生の声から「DRoboHacks」も開始しました。また、ディープラーニングに取り組む学生の中には金融に興味を抱く人が必ず出てくるので、金融輪読会も作りました。
 そして社会実装です。松尾研究室で特徴的なことが、ほぼ全ての活動資金を企業から共同研究や寄付の形で得ていることです。企業との共同研究プロジェクトが常時5~6つは動いていますし、研究成果がスタートアップに発展したり、すでに上場したスタートアップも複数あります。この社会実装の部分の規模がどんどん拡大してきたため、2020年には株式会社松尾研究所を設立しました。研究を大学に、開発・社会実装を研究所に割り振り、利益は大学に寄付で戻す形で運営しています。様々な企業と共同研究を行っていますが、事業の中でAIを使うのは当たり前になってきています。それを受け、2021年からAI経営寄付講座も開始しました。
 最後に、今回のシンポジウムの主題にも関わるインキュベーションです。これまでに述べた講義や共同研究を進める過程で、OBや学生によるものだけで10社以上、関連企業を含めると30社ほどと、多くのスタートアップが創出されています。そのうち株式会社Gunosy(グノシー)と株式会社PKSHA Technology(パークシャ・テクノロジー)の2社は上場もしています。他にも、重機の自動操縦やZoom営業の支援ツール、画像認識、自然言語処理など、様々な事業に取り組むスタートアップが育ち、また支援企業も上場を果たすなど成長しています。
 こうしたスタートアップをさらに作り出していきたいと考え、松尾研の活動を仕組み化する取り組みも始めています。実は、スタートアップが生まれるパターンは概ね決まっているのです。まず大学のAIの講義を取って基本的な武器を身に付ける。次に、共同研究に参加してOJTで学ぶ。そして仲間を集め、事業領域を決めて起業するという流れです。この3段階を言わばゲーム的にクリアすると起業していた、という「起業クエスト」を2021年夏から開始しました。現状では、数百人から2,000人ほどが講義を受け、社会実装まで進むのが30人、インキュベーション段階に進むのが10人、実際の起業が2~4社といった規模ですが、この流れをより太く、東京大学から年間100社のスタートアップが生まれるような仕組みを作りたいと考えています。
 このようなアントレプレナーシップ教育に関しても、2021年に寄付講座が設置されました。今、大学全体でも起業家教育は重要とされていますし、私も有識者として参加する政府の「新しい資本主義実現会議」においても、成長のためにはスタートアップが重要と認識されています。こうした活動を継続し、1つの成功が次の挑戦を生み、それがまた成功を生んで自信をつける、そうしたスパイラルを生み出したいと思います。最近、本郷バレーといわれますが、本郷だけでなく日本全国で、シリコンバレーや深センに並ぶようなエコシステムを作りたいです。
 こうした大学研究室の活動と並行して取り組んでいるのが、冒頭にお話しした日本ディープラーニング協会です。ビジネスパーソンがAIリテラシーを身に付けるためのG検定、エンジニア向けのE資格という2つの資格試験を設け、人材育成を行っています。
 また、ディープラーニングの技術を生かしたプロダクトの開発にはハードウエアの知識が欠かせません。この二者は親和性が高いのです。そのため、機械・電気といったものづくりの技術を実践的に学んでいる高等専門学校(高専)生はディープラーニングを学ぶのに最適だと考え、創設したのが、全国高等専門学校ディープラーニングコンテスト(DCON)です。高専生のコンテストと言えばロボコン(全国高等専門学校ロボットコンテスト)とプロコン(全国高等専門学校プログラミングコンテスト)が知られていますが、広く社会で評価されているとは言いがたい。そこでDCONでは、ベンチャーキャピタリストが提出されたプロジェクトの事業性を審査し、金額として評価することとしました。金額で示されれば誰もがその価値を理解しやすいだろうと考えてのことです。2019年から開催し、参加チーム・校数も順調に増えています。「これは確かに売れそうだ」という面白いプロジェクトが多く、例えば、従来は熟練工しかできなかった打音検査を誰でもできるようにするデバイスを開発したチームには、6億円の評価額が付きました。仮想とはいえこれだけの規模の額で評価されると自信にもなりますから、実際に上位入賞チームからスタートアップも生まれてきています。
 ここまでが私と私の研究室で行っている活動ですが、ここからは、なぜこうした活動を行っているかをお話ししたいと思います。元々私は博士号取得後、産業技術総合研究所に所属し、2005~2007年はスタンフォード大学で客員研究員をしていました。GoogleやFacebookが急成長を見せていた時代で、私もWebの研究をしていましたので、国際会議や論文発表に注力していました。しかし、論文を量産する一方で、いくら書いても世の中は変わらないと無力感を感じてもいたのです。一方でGoogleやFacebookは、事業を伸ばしながら、研究者も多く雇用し高度な研究をしていました。その様子を見て、AIやITの研究は技術と資本が融合したパワーがものをいう世界で、学究的な研究も研究機関だけでは成り立たないと痛感したのです。産業と基礎研究が両輪として進む、シリコンバレーのような仕組みを作らないと絶対に勝てないと思いました。
 その後日本に戻り研究を続けていたのですが、客観的に見ても自分が最適と思える研究提案が公募で採択されないという出来事があり、やはり国の研究費を取るのをやめようと決意を固めました。AIやITの研究を続けるのであれば、年功序列で財政の見通しも明るくない国の研究費に頼るわけにはいかないと。2011年のことです。直後には、それまで年間5,000万円ほどあった研究費が200万円になり大変でした。
 そんな中で川上登福さんと出会い、様々な企業の研究案件に取り組むうちに、研究者は企業の課題を解いていない、何を解決すれば事業が伸びるかということを考えていないことに気付き始めました。逆に言えば、本当に技術的に解くべき課題を同定できさえすれば仕事は半分できたようなものです。企業の事業の構造や現状を理解した上で課題を見つけるという、前工程が非常に重要だということが分かったのです。そこから企業の問題解決ができるようになり、信頼を積み重ね、研究費も集まるようになっていきました。松尾研でこうした動きを見ている学生も、企業との共同研究とは、相手の課題を解き事業を伸ばしていくものだという意識を非常に強く持っていますし、松尾研発のスタートアップも同じような志向性のもとで成長していると考えています。
 こうした活動を続けていて思うのは、日本全体が局所最適になっていて、全体を見てバリューを繋げる、バリューを創り出すことができていないということです。逆に言えば、企業の課題解決と技術の基礎研究を繋げることができれば、凄い価値になります。教育とスタートアップも同様で、まだ皆がやっていない領域は、競争相手がいなくても成長できてとても楽しい、すばらしい領域だと思っています。私の取り組みはまだ始まりにすぎません。これを日本全体に広げ、もっと世界と戦えるスタートアップを生み出し、研究や教育としても世界と戦えるレベルに行きたいと思っています。

 


論文と比較して、スタートアップ支援や企業との協力は大学の評価として評価されているのでしょうか。


評価されていないと思います。しかしこうした評価の仕組みはどうしてもハックされがちで、例えば形だけの産学連携で評価を受けるといったことがいくらでもできます。ですから、評価されていないしそれを気にしてもいないというところです。


数千人の講義から、数十人の社会実装やインキュベーションにまで残る学生には特徴があるのでしょうか。


今は起業家になりたい学生が少なく、スタートアップの数が圧倒的に少ない。ですから、起業意思が強い学生が残っています。まだ才能が問われる段階ではなく、ちゃんとしたやり方で、ちゃんと事業を作っていけば、かなりの確率で成功できる。むしろ現段階では、起業するか否かの一番の要因は、身内に起業家がいるかどうかだと松尾研究室の研究で分かりました。


講義は東京大学の学生が中心という印象ですが、他大学の学生も気軽に聴講できるような計画はあるのでしょうか。


社会人と学生は区別していますが、東京大学と他大学の学生は区別していません。やる気と能力があれば受講できてプロジェクトにも入れます。新型コロナをきっかけとしたいい面での影響としても、全国の大学生がプロジェクトに入りやすくなったことがあると思います。


他の講演で、ベンチャーは5年後に90%の事業がなくなるというお話がありました。企業とベンチャーの人材の流動性をどのように見ておられますか。


評価の問題というより、根本的にはビジネスに対するリスペクトの問題だと思います。これまでの日本の教育と社会の関係は、小・中・高・学部・修士・博士と成績の悪い人からビジネスに出ていって、優秀な人が大学に残って研究者になるという見え方です。ですから研究者は、自分が本気を出せばビジネスができると心のどこかで思っています。それは大間違いで、研究が優れていることとビジネスとして優れていることは別です。99%の人がいるビジネスの世界で起業家として成功できる人は天才で、自分は少なくともビジネスの領域では勝てないという純粋なリスペクトがあって、この人のために何ができるかという思考がないと、表面上の産学連携やインキュベーションではうまくいかない。だから、そこを広げていく仕組みがあればと思います。


大学の評価としてスタートアップ支援が評価されていないとなると、大学からスタートアップが出るには、松尾先生のような方がたまたま現れるのを待つしかないのでしょう。


評価の問題というより、根本的にはビジネスに対するリスペクトの問題だと思います。これまでの日本の教育と社会の関係は、小・中・高・学部・修士・博士と成績の悪い人からビジネスに出ていって、優秀な人が大学に残って研究者になるという見え方です。ですから研究者は、自分が本気を出せばビジネスができると心のどこかで思っています。それは大間違いで、研究が優れていることとビジネスとして優れていることは別です。99%の人がいるビジネスの世界で起業家として成功できる人は天才で、自分は少なくともビジネスの領域では勝てないという純粋なリスペクトがあって、この人のために何ができるかという思考がないと、表面上の産学連携やインキュベーションではうまくいかない。だから、そこを広げていく仕組みがあればと思います。


例えばドイツでは産学連携が盛んですが、それを通じた人材育成が残っていてうまくいっていると思うのですが、日本ではどうでしょうか。


企業の人が大学に行ったり、大学の人が企業に行ったりという人的な交流がもっと起こると、社会での自分の役割をもう少し明確に認識するようになると思います。


高専で学ぶ工学はディープラーニングとの親和性が高いというお話でしたが、大学で学ぶ工学では狭すぎるのでしょうか。


大学でもすぐれた工学が学べると思いますが、修士以降はその世界の思考に染まり過ぎる面があります。追究は大事ですが、実社会での活用を考えるとこだわらないほうがいい。高専生は柔軟に対応できるという点で、技術的な親和性に留まらない長所があります。逆に言えば、若い学生がアカデミアの常識に囚われないうちにDCONのような体験をすれば、大学でも様々な学部で柔軟な学びを得る可能性が広がると思います。